INTERVIEW

金森 穣さんインタビュー

若い頃にNDT2で研鑽し、帰国後に「Noism」を立ち上げ、芸術監督となった金森穣さんにインタビューを行いました。

(c)Kishin Shinoyama

日本で唯一のプロフェッショナルなレジデンス・ダンス・カンパニーNoismを率いる金森穣は、若い頃海外で修行を積み、NDT2には1994年から1997年の3年間在籍している。またNDTへも作品を振付している。
『Under the marron tree』(NDT2, 1997年1月)
『Cantus』(NDT2, 1997年10月)
『Me/mento 4am “ne” siac』(NDT2, 2001年11月)
NDT在籍時代のポール&ソルとの思い出、またカンパニーの芸術監督の立場からも話を伺った。

インタビュー・編集・文:乗越たかお

◼️NDTダンサー時代について
-今回の公演でソル・レオン&ポール・ライトフットの作品は『Shoot the Moon』『Singulière Odyssée』の2作品が来日します。ポール&ソルは、金森さんよりも少し上の世代ですね。NDTでの思い出はありますか。

「そうですね。私がNDTに入ったのはもう25年前のことです。当時は芸術監督のイリ・キリアンが世界中で高い評価を得ていて、NDTも1.2.3とありました。憧れの先輩達が目の前にいたし、NDT1にはマッツ・エック、ウィリアム・フォーサイス、オハッド・ナハリンといったクリエイティビティの面でもスゴい人々が振付に来ていました。その頃のポールとソルはメインカンパニーであるNDT1でダンサーとしてバリバリ踊りつつ、同時に私たちがいた若手カンパニーNDT2に振り付けていました。NDTのレパートリーにもなっている『Skew-Whiff』 (NDT2, 1996)など、その頃の作品のいくつかには、私もクリエイションに参加しています」


-ポール&ソルのクリエイションはどんな風に進んでいったのですか。

「基本的にポールはひたすら動きを創っていって、ソルがコンセプト的な部分を決め、一歩引いたところから全体を見ていて『そこはこうした方がいいんじゃない?』と意見を言っていました。当時、作品クレジットがポールの名前しかないものでも、実際にはソルと一緒に創っていたんです。私がNDTをやめてから少しして共同クレジットになったようですね」


-今回来日する『Singulière Odyssée』は鉄道の駅の待合室が舞台ですが、国境の駅なので、EU統一前は入国手続きもあったわけです。戦争や難民などの問題も盛り込もうとすればできるわけですが、ポールは「政治的にはならないように」「個別の物語を語るのではなく、ポジティブなメッセージを伝えて」とソルから厳しく言われていたとインタビューで言っていました。

「ソルはそういう指摘が的確なんですよね。そういえば『Skew-Whiff』の冒頭には私のソロがあったんですが、一度だけポールと二人だけでクリエイションをしたことがありました。ソルがいないのは珍しいし、普通のNDT2のスタジオではなく普段はNDT1がクリエイションをしている大スタジオだったので、貴重な体験でしたね。いまでも覚えていますが、ポールが『ソルから “ジョウと二人だけでクリエイションするときには気をつけて” と言われているんだ』と言うんです。え?それはどういうこと?と聞くと『ジョウは、たいしたことのない振付でも、良く見えるように踊ってしまうから』と言われていたとか(笑)。たしかに私は器用な方だし、そのときはすでに私も自分で振付を始めていた。言われたとおりに踊るのではなく、自分で色々考えたアイデアを付加して踊るタイプなので、ソルはその辺を見抜いて危惧していたのかもしれません(笑)。スタジオで瞬間的に盛り上がっても、振付として作品化するのはまた別次元の作業ですからね。ポールは動きを創ることに集中すると引いた視点は持ちにくくなるので、それをソルが指摘したのでしょう。本当にバランスの良いカップルだと思いますよ」


-クリエイションはどんなペースで行われていましたか?

「私がいた頃は、NDT2で幕を開けるオリジナルの新作は年間3本くらい。それを国内ツアーの合間を縫ってクリエイションをしていました。一ヶ月ある夏休み以外の11ヶ月間は国内外で100公演くらいの本番をこなしていたので、かなりタイトなスケジュールでしたね。それはそれで幸せなことでしたけど。ーNDT2だけでそのペースなので、NDT全体としては、いつも何かを創っている状態ですね。
新作ができると国内だけで25公演くらいはするので、次の新作のクリエイションはその合間にならざるをえない。ゲストの振付家が呼ばれても、創作にかけられるのは3〜4週間、しかも1日3時間くらいです。なのでクリエイションのあとバスに飛び乗って夜の公演へ踊りにいく、という毎日でしたね。ハードですけど、NDTのレパートリーは1本が20分間くらいと短いので、トリプルビル公演等が多かったので可能だったんですけれど」
NDT2時代の金森さん(ポール・ライトフット振付『Solitaire』)
©Joris Jan Bos
-今回来日する両作品は、ともに演劇的でありながら、きわめてシャープでユニークな動きの魅力に溢れています。金森穣さんの目から見て、彼らはキリアンの薫陶を受けていると思われるようなところはありますか?

「私がNDTにいた頃の彼らのスタイルは、あまりキリアンぽいという感じではありませんでしたね。もちろんNDTのエッセンスはあるけど、ヒステリカルな動きが多く、それでいて機知に富んでアイデアがたくさん盛り込まれていました。『キリアンだったらまずやらないようなことを、NDTのテイストでやる』というのが魅力でした。もちろん根本にはキリアンは入っていますが、それを発展させるアイデアがものすごかった。『Skew-Whiff』のときなんて、私は白塗りをしましたからね(笑)」


-金森さんが白塗りを!?

「はい。私の人生初の白塗りはNDTだったんです(笑)。それも日本人ダンサーがいるから、という安直な発想ではなく、アカデミックなものを外していきたいということだったと思います。今回プログラムに入っているマルコ・ゲッケ(『Woke up Blind』を上演)は、動きをわざと歪ませたり、ヒステリックなものがあるでしょう。昔のポールはああいう動きが多かったんですよ。だからゲッケがNDTのアソシエイト・コリオグラファーになっているのも納得、という感じはしますね」


-その頃からみるとポール&ソルも、とがった表現だけではなく作り手として熟成してきた部分も見られるでしょうね。

「私がNDT2を辞めて、彼らがNDT1に振り付けるようになり、さらにディレクターとなっていく課程で、空間の使い方ひとつ見てもどんどん洗練されていくのは一目瞭然でした。私は今回の来日作品は映像でしか見ていませんが、よりアカデミックになっていった。洗練されている感じがします」


■NDTについて
-今回来日する『Singulière Odyssée』は駅の待合室で様々な出会いが展開していく作品です。ポールのインタビューによるとNDT3創設の尽力をしたジェラール(Gérard Lemaître)さんへのオマージュでもあるそうです。80歳で急逝されたとか。ジェラールさんとは面識がありましたか。

「もちろんです。フランス人のダンサーで、私がNDT2にいた時に60歳くらいでしたが、本当にみんなに好かれていた人でした。彼の訃報に触れたときは、NDTファミリーとしてはかなりの喪失感を味わったことでしょう。


-NDTはあれだけの規模でもやはり「ファミリー」という感じなんですね。

「私がいたころは特に『キリアンのもとに集ったファミリー』という空気は濃厚でしたね。皆公演で顔を合わせるし、互いによく知っていました。あの頃はNDT1のダンサーは基本的にNDT2からしか採用していませんでしたし。つまり『若い時期をNDT2で過ごして、メインカンパニーのNDT1で活躍し、40歳になったらNDT3がある』というように、ダンサー人生を長いスパンで送ることができるカンパニーだと思えた。それがさらにファミリー性を強くしていました。今は、外からオーディションで直接NDT1に採用するし、NDT3ももうありません。そのかわりNDT2はカンパニーとしてのレベルも上がって、1と比べても見劣りしないでしょうし、時代に合わせた進化を遂げていると思います」


-金森穣さん自身が若手カンパニーであるNoism2を創ったときは、そういうファミリー性を意識されたんですか?

「Noism2はあくまでも研修生カンパニーなので、プロではないですが、Noism0(ノイズム・ゼロ。2015年に始動した、舞踊に限らず、演劇、音楽、美術等それぞれのジャンルで専門的経験を積んだ芸術家が集うプロジェクト)など熟練のダンサーのためのプロジェクトを立ち上げたりしています。ダンサーにとっての『居場所』を作って共有したいというのは、キリアンの影響といえますね」


-いまご自身がNoismというダンス・カンパニーの芸術監督という立場で、当時を振り返ってみるとどうですか?

「私も自分で立ち上げて政治的なことなど色々体験してきて、カンパニーの運営という点では、あの頃のキリアンがどんなことに悩んでいたか、あのときぼやいていたことの意味など、しみじみとわかります。自分のクリエイションをしながら、他の時代の最先端を行っている若い振付家をゲストで呼んで比べられるわけだから、そうとう大変だったと思いますよ。でも他にはないNDTというファミリーを持っていましたね」


-若いアーティストを引き上げる、チャンスを与えるということに関してはいかがですか。今回来日するクリスタル・パイトとマルコ・ゲッケはNDTのアソシエイト・コリオグラファーです。とくにパイトは、NDTで初めて本格的なダンス作品に取り組んだとか。

「NDTは様々なレパートリーを持つカンパニーですが、どの振付家の作品を踊っても、NDTスタイルというものが厳然としてあります。フォーサイスやナハリンなどのカンパニーのように、芸術監督の作品しか上演しない、もしくはその振付家の作品を踊るためのダンサーから成り立つダンス・カンパニーとは違い、キリアンはどんなに人気があるときでもNDTを『自分の作品のためのカンパニー』にはしませんでした。そしてつねに若い才能を見いだして採り入れる努力を続けたのです。それは伝統として今のNDTにも受け継がれているんじゃないでしょうか」


-金森さんも「ワークショップ」で創った作品をキリアンが褒めてくれて、カンパニーのレパートリーに採用されたそうですね。

「『Under the marron tree』という作品ですね。私自身、偉大な人たちに導かれた恩恵はあります。ただ作り手を育てるのは本当に難しい。作りたい奴は放っておいても創る。私もNDT時代は、カンパニーの仕事が終わった後に夜の9時まで自由にスタジオを使わせてくれる環境があったので、毎日残って自分の作品を創っていましたから。内発的な情熱がないと、作り方の技術だけを学んでもいずれ行き詰まる。育てようとするあまり器用な者が量産されて、突き抜けた者が出てこない、ということになりかねない」


-そこが教育の難しいところで、「そもそもクリエイションを教えることはできるのか」という根本的な問題があります。しかし、何もしなくても良いというものでもない。

「もちろんそうですね。環境作りをして技術は教えられるけど、クリエイターに必要な本質的な能力はもう『持っているか、持っていないか』しかない。そういう人が出てきたときに、どれだけすくい上げられるかが重要です。時代によって若い人のモチベーションも違いますから。今は環境が整い情報も早く、選択肢が多すぎて迷ってしまう人も多いので、ある程度レールを敷いた方がいいのかもしれない。私たちの頃は選択肢自体がそんなになくて、キリアンが良いとなったらみんなキリアン!みたいな時代でしたから。カンパニーのあり方も時代とともに変化していくのが当然ですから」


-最後になにか一言お願いします。

「そうそう、ソル&ポールの作品は、必ず作品タイトルが「S」から始まるんですよ。『Skew-Whiff』もそうですが、今回の『Shoot the Moon』『Singulière Odyssée』もそうでしょう?来日したら、ぜひ理由を聞いてみてください(笑)」
中村 恩恵さんインタビュー→